社長は代を重ねるごとに劣化すると言う話を度々耳にします。
三代目で潰れるとか、ドラ息子といった言葉にもこの傾向が見られます。
日本人も、経験的に「苦労していない者は人間性が育たない」ことを知っているのです。
実は、こうした人間の心が辿る成長と熟成のプロセスを、象徴として体系化した伝統が西洋に存在します。それが「錬金術」です。
私がこれを知ったのは、嫉妬の感情に支配されたシドの神が見せた変容がきっかけでした。
なんとか助けようと光と愛を送ると、彼は漆黒のバラに変容し、次いで純白のバラとなり、そして最後には黄金の輝きを経て、深く落ち着いた赤色のバラへと変容を遂げたのです。
これらは錬金術における「ニグレド(黒化)」「アルベド(白化)」「ルベド(赤化)」という、魂の変容プロセスそのものでした。
錬金術というと一般的には物質から金を作る化学実験のようなものを思い浮かべますが、実は本質において、人間の精神を黄金そのものへと高めていく密教的な探求でもありました。
人の精神は、苦難や葛藤という「ニグレド(黒化)」の状態から、これを打ち破って無垢なる「アルベド(白化)」へと昇華し、これらの過程を経て初めて、永続的な実りである「ルベド(赤化)」に至ります。
すなわち、ニグレドが存在しない環境には乗り越えるべき壁そのものがありません。超克の工夫も知恵も生まれないため、光り輝く人格が作られないのです。
そして、第二段階にアルベドという純白の状態が存在することも極めて重要です。
苦難に直面した際、卑怯な手段や悪しき心でその場をやり過ごしても、アルベドには至りません。本質的な浄化がなされなければ、すぐに苦難の混沌へと引き戻され、時間を空費することになります。試練の中で無垢なる善美を選択してはじめて、精神という石はニグレドを真に抜けることができるのです。
この視点からすると、滝行や断食などで自らを過酷な環境に追い込む行為は、あえて自らニグレドの試練を作り出す試みと見ることができます。
しかし幸いなことに、夜の太陽の理を知らず、共感力を失い、少子化となった現代において苦難は多く、超克すべき課題は山のようにあります。日常を過ごしているだけで苦労は頼まれずとも彼方からやってきます。知恵を尽くし、卑怯の誘惑に打ち克つ者が生命の理に選ばれることでしょう。
面接などにおいても知られます。苦難を、どのような知恵と「心」で乗り越えてきたのかを。
