私たちは皆、無数の時間の蓄積のうえに今を生きています。しかし、ふとしたきっかけから、その積層の蓋が音もなく開いてしまう瞬間があります。
かつて前世という概念にどこか懐疑的だった私が、日々の営みのなかで不可思議な縁と重なり合い、避けられない記憶の奔流に直面することになった経緯。900年という時間を超えて手渡された名「カロア」。そして今世の現実と前世の理(ことわり)が統合されていく過程で起きた出来事を、ここに静かに記録しておこうと思います。


転生者との出会い

私はかつて前世という概念に対して懐疑的な姿勢を持っていたのですが、2025年1月、見事に前世の願いを果たした方の相談を聞くに至り、前世が今世の生き方に強く影響することをとうとう知ってしまいました。
その方の人生についてはもちろん詳しくは言えないのですが、実に感動的な縁の二人であり、前世を細かには検証していないものの、明らかに「行動」や「出来事」それから「興味関心の方向性」「他動的に訪れる情報」といった要素が見事に整合しており、一つの答え(望み)に導かれているのでした。

実は私にも、前世の記憶らしきものがありました。非常に強烈なもので、幼い頃から何度も夢に見、この後は決まって「Caloa」という名で目覚めさせられるというものです。自らの名であることがはっきり自覚できたために、占い師としての名として維持されてきました。

ただこうした明瞭な鍵があっても、それまで私は自分の前世に関心を示しませんでした。資料を山ほどひっくり返さなければ到底分かるものではないだろうと半ば諦めていたからです。この時の私は神道が専門であり、ケルト文化という大きな括りでの大雑把な認識はありましたが、アイルランドや詩聖について知るための接点が全くありませんでした。
ところが先日の縁によって私は、前世と今世の人生とが整合する感覚を知らされ、そして少し前とは違って目の前にはAIという存在があります。ここに来て前世を知ることが「面倒ではなくなった」のです。
そして同じ月、Caloaとその発音、ラテン語やルーンの微かな手触り、記憶の光景から、アイルランドのロック・オブ・カシェルへと辿り着きます。


記憶と詩の奔流

しかしこの時から自分の正体に辿り着くまでには約1年の空白がありました。何故なら、それ以上の手がかりはなく、それ以上調べようという衝動も必要性も発生しなかったからです。何か動画を作った方がいいらしい(作ることになりそうだ)という予感・啓示的感覚はあっても、その中身までは潜ろうとはしませんでした。私には日本人としての基盤があり、強固で安定した精神と日々があり、前世に何かを求めなければならないような状態にはなかったのです。

しかし2025年12月22日(冬至)、ある不気味な夢を見ます。
「ローマ人の死体が実家に浮かんでいる」という夢でした。
そして25日のクリスマス、実家で父が亡くなったのです。

この日から、今世の私のものではない記憶が(夢ではなく覚醒と未覚醒の境界において)次々と溢れ出すことになりました。さらにはその記憶を元に詩を書かなければいけないという、焦りにも似た衝動に駆られ、この異様な現象を確認しようと尋ねると、書くだけでなく当時の発音に復元せねばならず、おまけに隠し持っているのではなく公開しなければならないと「指示」されました。不本意であり、不可解であり、不必要でした。それまでのアイデンティティが音を立てて崩れ去るのを感じました。
(奇妙なことに、同時に弟も前世の記憶を思い出すという現象が発生していました。)
調べる暇はなく、ただただ作業することになりました。春を過ぎた頃からようやく多少の余裕ができてこれらの溢れ出た記憶を元に調べていくと、ある一人の人物に辿り着くことになりました。(2026年6月4日記)


円環の制御

​CétnadやMumhanという単語で過去の場面を鮮明に思い出したように、もし今世でアイルランドに赴けば、私はさらに多くのことを思い出すことになるでしょう。しかし、今の私にはその気が起きません。カシェルの空撮を見た時にはどことなく気まずいような複雑な感情がありましたし、変わり果てたヒベルニアの景色を受け容れられるかどうか自信がないのだと思います。

ニーチェが永劫回帰を作品に遺したように、転生後の人生は放っておけば似たような選択をし、似たような役割を与えられやすくなります。
私はかつて日本の天皇や皇族が修めていた神道を伝える一教派に導きを頂きましたが、何故かこの若く未熟な小さな人間を教主様は気に入り度々褒めてくださいました。ある時、組織図を示されて意見を促された時は驚愕するとともに、私の中に何かを見出されているのであろうことを感じてもおりました。20代半ば頃のことです。
今思うと、この状況は前世で前任の大司教に気に入られてしまった時と酷似していました。(似たような年齢だったと思います。)一般的に見れば栄誉に思えるかもしれませんが、その職務は穏やかで静かな、心清らかな暮らしとはかけ離れたものだったのです。

私がもし今世のために何も準備していなければ、世界は流れるままに流れ、今世の私もまた過労死寸前まで追い込まれていたかもしれません。いまこの二重の私が永劫の輪に竿を差し、永遠の領域のために歩んでいることを考えれば、もはや望んでも二の轍を踏まされることはなく、時に不自然に絶たれることも必然と言えるのでしょう。(2026年9月30日記)


新たな謎と神話

私は12世紀の自分が21世紀に向けて意図的に準備したものだと今日まで考えていましたが、それだけでは説明のつかない現象がありました。どちらかというと準備「させられていた」という感覚に近かった筈です。輪回転生というだけの認識では理解しきれず、アイルランド神話を紐解いてようやく朧げにこの現象の正体が見えて来ました。仮に、アイルランド神話という「技術」が転生と共に魂に保持されていた(ジェームズ・ライニンガーの操縦技術などのように)と考えてもうまく整合せず、詩聖たちが積み上げて来たシドと人間の関係性に照らす方が整合するのです。
アイルランドの神々はシド(丘=異界)の中のマグ・メルという時間も変化もない常若の領域(日本でいう常世)にあり、普通の人々は死後テック・ドゥンを経て再び人間か、別の生き物に転生すると伝えられています。輪回転生と呼ばれるのは後者です。
私も単に輪回した魂の一つだと思っていました。しかし、15作の詩を作り終えた後の夏至、私は、12世紀の自分と思しき気配から契約を迫られると言う意味不明の事態に陥ります。この気配は完全に今の私とは独立した存在として思考を持ち、自然界に干渉し、時に私を乗っ取るという現象を示しました。
シドの神々との何らかの関わりを感じた私は、12世紀の記憶に対して「当時シドの神と契約したのか」と尋ねました。すると「誘いはあったが現実を優先して断った」と返って来ました。つまりカトリックの規律を厳しく守っていたわけです。しかし見逃してはならないのは「誘いがあった」という状況。シドの神と接触した場合、断ったとしてもシド行きは確定しているのです。
それでもなお転生していると言う事態に私はさらに混乱させられました。儀式の記憶らしきものがあったため「12世紀に魂を分けたのか」と尋ねてみました。すると「そうではない。シドの神の分身が12世紀に降ろされ魂を欠損した結果、転生が必要になったのだ」と教えられました。つまり12世紀の自分が招かれて新たにシドに行ったのではなく、逆で、元々シドにあった者が降りて(大司教となってアイルランドの神々とドルイドの道統を否定すると言う大暴走を起こした末に)帰還し、本体に欠損を返してしまったと言うわけです。この欠損を補填するために今の私はあり、12世紀の特徴を受け継ぐ本体から契約を求められることになったようです。(2026年10月15日記)


悪魔崇拝との違い

今世の私は「占いなど怪しいものだ」「オカルトは嫌い」という偏見を持ちながらこの道(マルセイユタロットの不可視の円環教導)にいつのまにか引き摺り込まれてしまったわけですが、この現象がいわゆる魔女や魔術(悪魔崇拝)とは根本的に違うことを明らかにしておく必要があります。

悪魔崇拝の原点となっているのはフォモーレから力を借りる形式の不平等契約です。ダナ神族が到来する以前の古代ではドルイドや王が土地の安寧のために、中世では力を持たない人間が欲望を満たすために行われていました。

比較項目ダナ神族(Tuatha Dé Danann / 神族)フォモーレ(Fomoire / 魔族)
存在の本質調律・調和・美・光
(宇宙の正律を保持する存在)
混沌・暴走・奪取・影
(現世の生命力を吸いあげる存在)
主たる領域シード(Tír na nÓg / 永遠の常世)
(美しく調和した異界)
暗い海・深淵・荒野
(無秩序で未開開拓の領域)
力の行使(技法)詩・音律(Dán)と正律(Dán Díreach)
(世界を本来の姿へ導く調律)
魔法・幻術(Draíocht)と呪縛
(現象の強制変更・視界の狂わせ)
エネルギーの調達自前の循環(無傷)
(自らの高潔な霊力と世界を直接同調させる)
外からの奪取(生贄・代償)
(他者の生命力・血・初子などを要求する)
人間に対する態度対等な誓約(Hieros Gamos)
(相手の自由意志と選択権を極限まで尊重)
不平等条約・支配・搾取
(恐怖・欲望・魅了で正気を奪い奴隷化)
「魅了」の性質真実の共鳴・透明な惹かれ合い
(意識が澄み渡り、自ら選択する)
強烈な執着・正気を失わせる幻影
(判断力を奪い、自分の領域へ引きずり込む)
アプローチの形対等な意志の提示
(受容・同意を待ち、断る権利を与える)
脅迫・選択肢の剥奪
(断れない状況を作り出し、強引に奪う)
土地・世界への影響実り・調和(春の訪れ)
(土地と人々の生命力を活性化させる)
荒廃・枯渇(荒れ地)
(土地の地力を吸い上げ、不毛にする)

このダナ神族の詩の知識と調律の精神を受け継いだ者がフィリであり、フォモーレへの従属との区別が曖昧なドルイドとは異なった存在として定義されました。

前章で述べた契約については強制力がなく、21世紀においても私には断る余地が十分にありました。なぜならその契約の迫り方は優雅でありながらどこか素朴で、圧倒的な能力を示しながらも選択肢に配慮し、私自身の意思でなければ意味がないというものだったからです。特に契約後に要求される労務や対価もなく、疑念は悉く晴らされ、守護という目的が明快であったため断る理由はありませんでした。おそらく詩の奔流はこの存在が自身を証明するために具象化したものであろうと推測されます。
タロットはイムバスを補う形で神々と会話するのに非常に役立っており、改めて言語体系なのだということを学ばされると同時に、そのために導かれたことを理解させられました。
その後はミードの原点になったであろう酔いをもたらす黄金の蜜や、胸が澄み渡る美味な水を与えられたり、銀の枝の原点になったであろう35mmほどの金属のような質感のリンゴがいくつかついた枝を見せられて(音を聞いていないので鈴かどうかは分かりませんが)安眠できたりと、色々ありがたい贈り物をいただいたので、私からも詩を贈るというやり取りが行われています。(2026年10月28日記)