Lignum Vitae(生命の樹)は12世紀以降の歴代教皇を示す予言書として知られています。
2025年4月に崩御した教皇(時)に該当する文が、最後の112節。
“In persecutione extrema S.R.E. sedebit.
「聖なるローマ教会が最後の迫害を受ける間、就くであろう。
Petrus Romanus, qui pascet oves in multis tribulationibus:
ローマ人ペトロ、彼は多くの苦難の中で羊たちを牧するが
quibus transactis civitas septicollis diruetur,
それらが終わった時、七つの丘の街は破壊され、
et Judex tremendus judicabit populum suum. Finis.”
恐るべき審判者が、その民を裁くであろう。終わり。」
予言は、通常の意識によって出てくるものではありません。これを口にしたとき、当事者としては畏怖し驚愕していたはずです。
一例として書いておきましょう。
たとえばこの時、9世紀後に再誕している自分を、ニューグレンジ遺跡で知ったか、あるいは無意識が現実として捉えていたとします。(これはどちらでも同様の現象となります。)
ここで、ケルトの帰還の円環とキリスト教の教義(最後の審判)との不整合が発生します。真実を絶対とする詩聖の精神に亀裂が生じ、信仰心が衝突し、帳尻を合わせようとします。結果、その深層意識は9世紀後が審判の時であることを再誕の現実によって確信させられることになり、意図せず「宣告」させられた、と考えるのが自然です。
この不整合によって起きる宿命は、すでに5世紀のアイルランド(キリスト教伝来とフィリの融合)から始まっていました。すなわち以降のどの時代の誰であってもいつかは起きることだったわけです。もはや因果の帰結であり、自然の理としか言いようがありません。おそらく、私を通して今日までに吹き出した詩篇の様子を見る限り、予言のそれも自然現象として訪れることになるでしょう。
この予言が21世紀に残るまでにはいくつかの段階があります。しばらく偽書と言われて来たようですが、権力的な思惑により複製は抹消、独占され、公開までの内容が改竄されただけであり、手付かずに残っていた部分は本物(暗号文という多層性を持った)です。
