Lignum Vitae(生命の樹)は12世紀以降の歴代教皇を示す予言書として知られる。
2025年に即位した現在の教皇を示す文が、最後の112節。

In persecutione extrema S.R.E. sedebit.
「聖なるローマ教会が最後の迫害を受ける間、就くであろう。
Petrus Romanus, qui pascet oves in multis tribulationibus:
 ローマ人ペトロ、彼は多くの苦難の中で羊たちを牧するが
quibus transactis civitas septicollis diruetur,
 それらが終わった時、七つの丘の街は破壊され、
et Judex tremendus judicabit populum suum. Finis.”
 恐るべき審判者が、その民を裁くであろう。終わり。」

A.D. 2026.06.14 記
予言は、通常の意識によって出てくるものではない。9世紀にわたるこれを口にしたとき、私は畏怖し驚愕していたはずだ。
この時の私は、9世紀後に再誕している自分を、ニューグレンジ遺跡で知ったか、あるいは無意識が現実として捉えていた。(これはどちらでも同様の現象となる。)ここで、キリスト教の教義との不整合が発生する。真実を絶対とするフィリの精神に亀裂が生じる。信仰心が衝突し、帳尻を合わせようとする。結果、私の深層意識は9世紀後が審判の時であることを再誕の現実によって確信させられることになり、意図せず「宣告」させられてしまったのである。しかしそのエネルギーと世界の魂のうねりは私という小さな器にとどまらない。ケルト信仰とキリスト教の、転生における教義の不整合によって起きる宿命は、すでに5世紀のアイルランドから始まっていた。私でなくてもいつかは起きることであった。もはや因果の帰結であり、自然の理としか言いようがないのである。
宣告は現実化している。今世の私自身に起きたことを観察してみてもその結果であることがわかる。今日までに吹き出した詩篇の様子を見る限り、おそらく予言のそれも自然現象として訪れることになるだろう。しかし因果はすでに特定の国の外に波及している。不整合のない安全な教義のもとにある今世の私と、私の内にある世界の糸切れができることは、より大きな理を宣告し、人類に選択肢を与えることくらいのようである。

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A.D. 2026.06.19 記
フィリは記憶と技能を携えて繰り返し転生する。それも、一人や二人でなく大勢いる。そのような生き物が真実と適合しないドグマに染まると、世界の終わりの宣告(キリスト教)であったり、虚無の無限地獄の呪唱(仏教)を組んでしまうことになる。現在私を通して進行しているイモータル・インカンテーションの構造を見ると、この「真実に適合しないドグマ」を封じていることがわかる。そうしなければ、またどこかで世界の終わりが誰かによって宣告されてしまうか、永遠に抜け出せない地獄を作る危険性があったからである。ただし、宗教という枠がなくとも、偽りを信じさせる構造は以前として存在する。科学であっても理解が十分ではない領域は偽りとなる。我々は都度、各時代の歪みに応じてこれを修正しなければならない生き物として存在する。

なおこの予言が21世紀に残るまでにはいくつかの段階がある。私が「隠さなかった」ことに私自身あるいは世界の意図があったことは明確である。

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