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日本には神々が授けた三種の神器というものがあります。
これはかなりの複合的な側面を持った神宝ですが、その重要なひとつの側面として「働きや現象」を指して宝と述べるところにあります。

すなわち、物質自体や権威からの手渡しなり認定なりを以て宝と述べるのではなく、その「本質を授かった時点で宝を授かる」ということです。

最も初歩的な宝は、「正面に置いた鏡」です。
正面に置いた鏡には、自分が映ります。自らの性質を知ることのほか、発した思いや言葉や行為が自分に返ってくること、自らの行いが見た目や健康状態に表れることなど、神経の生理現象を自然理解することが、この宝を一部授かった証となります。

この鏡があると、その人は他人を不利にすることを行いません。人への親切は、自分の神経にとって健康と幸福を招くことを知り、悪事は自分をダメにすることを知ります。

さらに日本の怖いところは、国自体に本当に神器に表現されるような鏡(リフレクション)の働きが備わっていることです。古くから「返り矢」と言われるこの現象は、現代ではブーメランと表現されています。国民が日々鏡を磨いてきた成果と言えるでしょう。

神々が発見した神経の生理現象

神々によれば、人間には体内をめぐる連絡エネルギーがあり、悪事を行えば行われたのと同じ現象を起こすと伝えられています。誰も知らないからと、その時は得した気持ちになっていても、まず自分自身という目撃者があって、隠せば隠すほど神経は乱れて精神や健康を損ない、様々な失敗や不幸を誘うと伝えられています。

これは人間に生まれつき備えられた神経の性質と言えるでしょう。

  • 人を攻撃したとき → 攻撃された痛みを感じやがて健康を損なう
  • 悪口を言ったとき → 恨み心という暗いエネルギーの循環に心身を侵される
  • 盗んだとき・奪ったとき → 物惜しみしてしまい、与え合う明るい循環に加われなくなる

このように代表的な三種類の悪事をあげて具体的に伝えられています。

天にも地にも人にも目はあり、見ていないように見えてすべてが見ています。このことは次の宝にも関わるところですが、神経の信号は個の体内にだけ留まっているのではなく、地球全体で連絡し合っているのです。これを人は「虫の知らせ」として直感し、この性質によって占いも千里眼も可能となるわけです。地球を素材とした生命体である限り、この法則から逃れることはできません。

真の権威とは

昨今、指導者となっている立場の人々がかなり迷って困っている印象を受けます。
人々をきちんと自信を持って統率でき、非難を受けることもない人というのは、人の本質をしっかり理解している人です。

すなわち、人は本質的に武力ではなく幸せを生み出す人に従う生き物なのです。

幸せを生み出す方法は様々に考えられるでしょう。しかしその方法が認められる前にまず、人の本質を理解する頭脳があるかを見定められます。他国を口撃したり、殺したりすることは、人の本質が理解できていないか、自分を死に追いやりたい人の選択と見られます。

とはいえ、どんな人もこの法則に気付かなければ正しい道を歩むことはできないでしょう。人は長命で学ぶ機会も成長する機会もあります。相当の事を犯して自滅しない限り、改めるチャンスはあるのです。
神代にも、過ちには気付いて正すチャンスがあると伝えられています。同様の悪事には三度目あたりに自身に異変が現れるため、その前に気付いて改めれば間に合うのだそうです。

自分の過ちを認めることは大人になっても困難で、物事が大きいほど勇気が伴うでしょう。しかしだからこそ、その偉大な勇気と成熟した脳に、人は期待や信頼を寄せるものなのです。

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