Pocket

現在、日本では復興税に代わり森林税というものが導入されています。これは本当に必要な税でしょうか。自然にはそれ自体が調節しようという働きがあります。

ウニが捕れなくなる「磯焼け」

昆布やそれを餌とするウニの漁獲量が減ってしまう磯焼けという現象があります。これは近年になって表れたものではなく、昭和初期ごろから徐々に確認されてきた現象で、経済成長とともに悪化の一途を辿ってきました。原因は石灰藻という植物が昆布の胞子を殺してしまうためで、この石灰藻の天敵は腐葉土であると言います。捕れなくなった海にそそぐ川の上流を訪ねると、広葉樹がなく腐葉土が育たない環境でした。
この問題に駆け付けたのが煙草製造でおなじみのJT(=旧大蔵省)。もしかしたら財務省にウニ好きな方がいらっしゃったのかも知れません。森林を手入れして海を回復しようという活動が行われています。

温暖化とその速度

経済成長はさまざまな環境の変化を起こしました。もはや、針葉樹を植えすぎただけの話ではないのです。これが近年叫ばれてきた温暖化という現象です。しかしこの温暖化も産業革命とともに徐々に気温上昇し、近年になってその上がり方が急激化したに過ぎないのです。例えば熱帯のアミモジゴケが北限を突破した地域であるはずの北関東に発見された事実は、それより遥か以前から気温が上昇していた証拠となっています。

能動選択をする人々の未来に

地球の公転軌道が円と楕円とを往復変化させるサイクル、地軸の傾きの変化、こうした要素によって自然的に地球環境は変化し、4~5万年後に必ず氷河期というものが訪れます。生命という生命が凍り付き、その多くが死滅してしまう逃れようのない凍結イベントです。

人間もまた、その経験を遺伝子に内包しています。「必ず、とてつもなく寒くなる時がある」と知っているのです。「地球」が生き物を死なせたくないとしたら、温暖化に「地球≒人」の意思が向かうのも、これもまた自然と考えることができます。

であるとすると、氷河期に向けての気温上昇をどの程度に収めればよいかという新たな視点が生まれます。つまり4万年かけて、少しずつ上昇させるのがベストなのです。

自然の調節機能「松くい虫」

森林環境について述べる人は、必ず「人間が手入れしないと森が保たれない」ということを言います。しかしこれは正確ではありません。少し考えれば分かることですが、人類誕生前の森は?そう、手入れなどせずとも保たれてきました。

手入れが要るとされるのは、人間が作った人工林であると言います。必要になると思って植えられたものが、まったく必要とされていないどころか海を悪化させ、花粉症という疾患まで引き起こしました。

しかし昨年、不思議なことが起きました。

松くい虫の大量発生です。2023年だけで前年比127%増加、信州北部~中部の森は、まるで「死の森」となり枯れ木が立ち並ぶ光景となりました。高速道路からもその様子は確認できます。
松が好きな人は、なんとか松を守ろうと必死に対策をしました。
しかし松くい虫とて、繁殖できない環境に在れば繁殖することはないのです。ごく自然なサイクルの中に彼らも活動しているに過ぎないのです。

では、松が枯れると何が起きるでしょうか。

松も針葉樹です。松が枯れれば下草が伸び、新しい木々が芽吹きます。その中には広葉樹もあるでしょう。私には、針葉樹が増えすぎた日本の森を、地球が松くい虫を使って調節しているように見えるのです。

イサナミ神が教える森林火災の摂理

温暖化するということは気温が上昇することであり、気温が上昇するということは燃焼しやすくなるということです。森林火災は温暖化と無関係とは言えず、起きうる要素の一つとして考慮しておく必要があります。しかし、起きてしまうときは起きてしまいます。

針葉樹は燃えやすくできています。火災が起きた時に一気に燃え広がるのは広葉樹よりも針葉樹の森です。広葉樹は「残りやすい」のです。かつて何度も起きてきた森林火災で保たれてきたバランスが「放っておいても」繰り返され、そうしてやはり残った広葉樹が腐葉土をせっせと作り、豊かな海を作るようにできているわけです。かつてあった自然は、人間が多少いじっても、サイクルが繰り返されてまたそのバランスに戻るのです。化学物質ならともかく、森林などは特にそうです。

イサナミ神が熊野の火災を止めるために活躍して亡くなられたのち、その地には五穀が豊かに実ったという神話が残っています。今でも焼き畑農業という言葉で知られますが、森林火災の後の土は豊かで、多くの実りをもたらします。たとえ森が焼け、景色が一変してしまっても、悲しむことなく自然の力をよく理解して、活かして行くことを神々も望んでいることでしょう。焼け跡が広葉樹の森と畑になれば、海も豊かになります。(だからといって、わざと火災を起こしてはいけません。)

緊縮財政で生じた思考タイプ

収入がない、税金が高いとなると、人は消費行動をしなくなります。30年という長い緊縮財政によって国民は「買わなければ生きられる」という思考を確立させました。この思考は生活を最低限のものに限定し、極限まで効率化させます。もう今の人は環境を破壊するような消費活動はしません。そしていま多くの国民がそうであるからこそ、政府にも最低限の政策と効率化を求めていくというわけです。

しかし政府は緊縮の手を緩めません。なぜでしょうか?
減税すると流産が減り、子供が増え、経済が活性化して税収は増加し、社会保障のバランスも整います。賢い方々ですのでこの点は分かっていると思うのです。
しかしそれでも敢えてやらないと言うことは、もしかしたらわざと経済を鈍化させ、人口を減らすことで環境を回復したいのかもしれません。

もしそれが理由なら、もう手を緩めても大丈夫です。
減税しても、ウニはきちんと捕れるようになります。