信州には、「信濃の国」という県歌があります。
それはこのような歌詞です。
県歌 「信濃の国」 浅井 洌 作詞 一 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき 二 四方に聳ゆる山々は 御岳 乗鞍 駒ケ岳 浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり 流れ淀まずゆく水は 北に犀川 千曲川 南に木曽川 天竜川 これまた国の固めなり 三 木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚多し 民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ 細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり 四 尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床 木曽の桟(かけはし)かけし世も 心してゆけ久米路橋 くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山 しるき名所と風雅士(みやびお)が 詩歌に詠てぞ伝えたる 五 旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も 春台太宰先生も 象山佐久間先生も 皆此の国の人にして 文武の誉たぐいなく 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず 六 吾妻はやとし大和武 嘆き給いし碓氷山 穿つトンネル二十六 夢にもこゆる汽車の道 みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき 古来山河に秀でたる 国は偉人のある習い |
ご覧の通り長い歌なのですが、何度か歌いますと不思議と6番まで暗唱できるようになります。その理由は歌詞の構成にあります。この歌は、7・5・7・5という繰り返しで作られています。これは、連歌(つづうた)という歌い方で、千年以上前から歴史を伝えるために歌われてきた形式です。
歴史は覚えておかなければ一字一句間違えずに後世に伝えてゆけませんので、歌と言う形で覚えやすい、さらに古来から変わらない方式によって長野県歌も編まれていたということです。
心してゆけ、久米路橋
ただこの歌を聞いたり、歌詞を見たりしただけでは、「久米路橋という橋の柱に、人が埋まっている」ことなど想像しようもないでしょう。長野県民はこの歌について学ぶとき、その衝撃的な事実を知らされるのです。
これは単に昔だから起きた事ではなく、今この瞬間ですらも、人柱となった彼らのように、人々の生命活動を支えるために命を失っている人が現実的にあります。
ですから、「心してゆけ」ということなのです。
心してゆくならば、彼らはあなたを呪ったりはしません。手を合わせ、その犠牲を想い、その人々の分まで世に人に尽くしましょう。
細きよすがも軽からぬ
五穀の実らぬ里、つまり稲を育てることのできない村を興すために、養蚕の技術が開けたことを伝える段です。よすが とは絹糸のこと。絹は物質としては軽いものですが、先人の努力や苦労を思えば、決して軽んじて良いものではなく、大切に大切に扱わねばならないもの・技術・伝統です。また、たとえどんな苦難に逢っても、このように新しい技術によって命を繋ぐこともできるものであるから決して諦めてはならない、という励ましを覚えるものでもあります。
正しい誇りを持て
どんな偉業も小さな一歩から始まっています。誰もがみな志によってこのように立派な人になれるのだということを教えてくれる、とても優れた歌であると思います。生きることは厳しく辛いものですが、今の時代よりもはるかに厳しい状況の中強く、誇り高く生き抜いてきた人々を思うことは、今の人々にも強い精神を与えてくれることでしょう。