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誰一人として、食事をせずに生きている人はありません。食事と心は密接に繋がり、また、経済と食事もまた密接に繋がっており、心と経済の関係を二種類に分けています。

人は大地から離れた瞬間貧しくなる

「お金がなければ食べられない」ことが当たり前の人にとって、お金は食べる手段になっています。ゆえに「稼げない」ことは生存を脅かす「不安」に繋がります。こうした都市的な狭い考え方に囚われている人が増えた結果、心の方から貧しくなっているのです。

経済は大地から生まれる

経済繁栄の神とされる稲荷神社は稲の神様です。タロットの世界でも玉は経済と果実を同時に意味します。すなわち実りを分け合い、労働を分かち合うのが経済の基本です。今の日本は武、知、財、心の四界のうち、財・心の連携が取れていない状態です。この日本は無償の永久資源を使うのが下手です。お金を出して外国の無償資源を買ってしまうので、必然的に支出が増加します。外国は永久資源を活用してどんどん富を生み出しているのに、温帯湿潤気候に恵まれているはずの日本はそれをしていないのです。もったいないことです。労働力で付加価値を上げて来ましたが、それも限界です。実はこれ(少子化)も同じところに原因があるのです。

経済は安心によって活性化する

農家は「お金がなくても食べ物はある」状態です。このため、経済からある程度距離があって安心感があります。経済が不安定になっても生きられないことはありません。よって、お金を使うことにそこまで抵抗はありません。実は国の経済が鈍化(=国内の有効通貨量が減少)する本質的な原因は、こうした「安心がないから」なのです。少し昔までは、都市の人も田舎の親とつながりがあって安心できるお米の縁がありました。しかし世代が移行するにつれて田舎と疎遠になり、「お金がないと食べていけない人」=「不安人口」が圧倒的に増えて来たわけです。不安人口の増加は、少子化と貧困化を同時に意味するものです。お気づきかと思いますが、高度経済成長期の田と経済氷河期の田の関係性は完全に連動しています。単純な話、国土における生産カロリーがなければ国民自身の燃料がないのと同じことですから、いかなる経済政策をもってしても国民農業を復興しなければ過放電状態となり、好景気を長続きさせることはできないのです。

豊かな田は子を増やす

日本の農業を外国人にさせようとする動きがあるようですが、とんでもありません。農業によって安心しなければならないのは日本人です。以前から私が血縁のある地方への回帰と連携を勧めているのは「お金がなくても食べられるという安心感によって幸せになる人」を増やすためです。すなわち、通信技術の発展・交通整備・水道更新等で地方の不便を解消し、兼業農家となる人を増やし、広々とした住まいや土地や食料によって心安く子供を増やすというのが健全で豊かな日本の在り方です。
食料を輸入すればいいというのは、「無意識」や「心」や「本能」には響きません。海の向こうから来る食料は、海が荒れれば無くなることを遺伝子レベルで知っています。よって目の前に田園があり、毎年決まって食べられる状況でなければ、ヒトは安心して繁殖できないのです。

斎庭の稲の穂

斎庭(ゆにわ)の穂は天照大御神が御皇孫に託されたものですが、同時に日本人の心にある田も指します。各自の田は現実にあることで心にあることができ、心にあることでようやく家族を構えて生きられるということです。現実の田が荒廃していることは心の荒廃を表し、子供の縁を薄くします。家系図を鑑定していても、田が元気な家系は子供の多い傾向があります

耕作放棄地(休耕田)の現状

具体例を挙げると、信州(長野市)にも子供の頃は田を手伝った記憶があるが、使われていない祖父母代の田に縁のある30~50代の人々があります。自分にも親類にもそれぞれ仕事があり、田を復興させようとしてもきっかけも利益も見込めないという状態です。手順も分からなくなり、耕運機を買うお金も手間も惜しいと考えます。つまり米そのものを買った方が安いと考えてしまうわけです。それでいて給与は車に吸われてしまい、不安は依然として解消されません。

心を整える場の必要性

しかし、このようにして神々が伝えてくださった田が荒廃してきたのには、経済以外にも道徳心の荒廃という問題が存在します。これについては神代よりある問題で、若者が田舎を去る理由にはこれも大きく影響しています。ヒトはそのままでは善人にはなれず、時間や社会の性質を長く知る清い人が「善い生き方」を導かねば、田舎は劣った人や悪人の集団に成り下がってしまうのです。これが心を清めるということであり、それこそが神社や祭事の役割であったのです。

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