神々が子育てについて教えられた言葉に、「よく言い聞かせて、導いてあげなさい」という一言があります。
それ以上の詳細や対義語がないので思わず読み飛ばしてしまうような僅かな一言ですが、すなわち子供に言うことを聞かせるために暴力を振るってはいけないということです。
暴力は知性を失ったコミュニケーション法
じつは、私は今朝とても悲しい夢を見ました。遅くまで寝ない子供たちに言うことを聞かせるために暴力を振るってしまう夢でした。自分を痛めつけているような苦しみがあり、思わず目が覚めました。
目が覚めた後、私は子供たちに一度も暴力を振るったことがないことに安堵しました。
私が暴力を振るわずに済んでいるのは、私と子供たちの間に信頼関係があり、子供たちが自分にとって良いことを自分の知能で理解した上で、良いと思うことを選択して行動を決めているからです。
「よく言い聞かせて、導いてあげた」結果です。
しかし相談を聞いていますと、子育てに苦戦している人もあるようです。
たとえば、食事の作法を守れない子供に教えるために、物置に閉じ込めて反省させるという方法を採っている人がありました。これは、信頼と知性を失わせてしまう育て方であると思います。
「なんだかよく分からないけど悪いこと」という認識しか生まれませんし、このように教えられたとしても「怒られるからやらない」というだけの行動選択となってしまいます。
良質な人間づくりには知性と時間と愛がいる
私は、良いことと悪いことの判断を育てるとき、必ず理由から話し始めます。
夜早く寝るのが良いことなのは、小さな子供たちの体と脳を育てるのに良いことだからです。「私は君たちをとても大切に思っていて、体と脳も丈夫で素晴らしいものに育ってほしいと考えている」ということをハグをしたり食べ物を分け合ったりして愛情を伝え、信頼し理解してもらいます。信頼してもらうには、暴力は絶対に振るってはいけません。攻撃されると、人は一度でも攻撃した人を本能的に信用しなくなるからです。
しかし、知性ある子供たちはそれだけでは従いません。私の判断が的確であることを、保健だよりなどをきっかけにして、脳や体がどのように作られているのか人体解剖図や最近の研究を示しながら話したりもします。子供たちは納得して、良い行動を積極的に選ぼうとします。
ところが食事作法はもっと難しい問題であるかも知れません。
私は、優しい心を備えた入学前の子供たちに「そのお魚は、捕まらなかったら生きてお前たちのように元気に泳ぐことができたんだよ。自分がお皿の上にいると思いなさい。さて、どう食べてほしい?」と心を込めて問いかけました。初めてそれを聞いた子供たちは、とてもショックを受けた顔をしていましたが、それからは神妙に食べ始めました。これを話したのは1度だけですが、今でも残さずきれいに食べています。
姿勢については、人間の喉の作りから話します。人の喉は平面交差になっていて、呼吸と食事が同じ位置を通るため、正しい姿勢で食べないと食べ物を喉に詰まらせたり肺に入れてしまったりして体を壊してしまうこと、そして一回一回では大したことではなくても、習慣化することで命を落としてしまうことがあることを教えています。これも、命を大切にしようという気持ちが生まれなければ子供たちは実行しません。大切にされている、自分は大切な存在であると思えなければできないのです。
かけがえのない大切な存在に育てる
10~12歳ごろになると、子供たちも社会における自分の立ち位置を考えられるようになります。自分には何が備わっていて、地球や社会の一構成員として、今の社会にどう生かしていけばいいか、これらを教えてあげるタイミングです。その使命が重要なものであると認識できるほど、大切な存在として命を守る生き方ができるようになります。
どんな素質があり、どのようなところが優れていて、どのように役立てるのかをしっかり話し合います。親も現代の社会についてよく考える必要が出てきます。どんな問題があって、どこを変えるべきなのかを考えます。そのために子供たちを育てると、重要な社会の柱として機能するようになるでしょう。
環境を活かすことも大切です。たとえばせっかく祖先が苦心して構築してくれた清らかな田畑があるのに、それを放棄させるような未来づくりをさせるべきではありません。ソーシャルワークもしっかり発展すれば、田畑を耕しながら別の興味ある仕事を行うこともできるようになるはずです。こう考えれば、ソーシャルワークの発展は食料自給率の問題を改善できる可能性があることが分かります。
しかし、こうしたことを教えるには、母親が仕事ではなく社会や子供たちの観察にしっかり時間と脳のスペースを割けるようにしなければなりません。参加報酬付きの育児セミナーがあっても良いくらいです。
知性は正しく発展すれば正しい社会を作る
古くは知恵の実は悪いものとされてきましたが、人は進化できる生き物です。「教えられない人はどうすれば良いか」という質問はするべきではありません。その質問自体が、知性を得ることを否定しているからです。知性を持たせないまま導こうとしてはいけないのです。それは洗脳と何ら変わりありません。人間は自ら学んだ整合性ある情報により、より良い判断を重ねて、平和で健康な社会が良いものだと当たり前に判断し、構築することができる生き物です。だからこそ宗教のように人を馬鹿にしたまま妄信の世界に連れて行くのではなく、知性を与えて人間自体を育てる道を明治天皇は選ばれたのです。
人間である限り、学ぶことができます。そのように作られているからです。知性を育てることをあきらめないでください。今からでも少しずつ知性を育てていけば、人は何がより良いかを判断できるようになります。社会は、経済だけでなく、知性と信頼を育てる時間と能力を母親に与えてあげてください。